社会人になってから、日々の社会生活を送る上で非常に生きづらいと感じることが多々あります。
集団行動が苦手、集中力が散漫で波がある、興味がないことは覚えられない、などなど挙げてみるとキリがありません。
なぜそのように感じるのか?そう考えて調べた結果、自分は発達障害なのではないかと感じたことが、この本を手に取ったきっかけでした。
発達障害
身体や、学習、言語、行動の何れかにおいて不全を抱えた状態であり、その状態はヒトの発達期から現れる。原因は先天的である事が殆どで、発達の遅れに伴う能力の不足は生涯にわたって治る事はない。大抵の場合、発達障害者自身の管理能力や想像力が無く、コミュニケーションパターンも稚拙であるため、人間関係で問題を抱える事になる。不足した能力が周囲の環境にカバーされ、決まり切ったスケジュールに沿って与えられたタスクだけ行っていれば良い学生時代に目立った問題が出なくても、多様なタスクを抱える社会人生活で多数の問題が発生し、発達障害の保有が発覚することもある。
引用:Wikipedia
発達障害と一概に言っても症状や重さは様々です。自分は社会生活が全く送れないという程ではないが、あらゆるところで不便を感じてしまう。俗に言うグレーゾーンというやつではないかと考えています。
グレーゾーンであれば、あまり重症ではなくてよかったね、と思われるかもしれませんが、グレーゾーンだとそれはそれで辛いのです。
一見健常者のように振る舞うこともできるので、自分が非常に苦しく感じることでも仕事を振られてしまったり、更には手前味噌ですがそこそこ仕事もできたりするので、後々に苦しい仕事がパワーアップして降ってきたりします。
こんなことを言うと、実際に発達障害と診断されて、社会生活をまともに送れない程苦しんでいる方に怒られてしまうかもしれません。
ですが、私自身も世の中で当たり前に行われていることが、自分にとっては非常に苦しく感じてしまいます。しかし、それができるように振る舞って、しかもどうにかできることも多いので、とてつもないエネルギーを使い、ストレスを抱えながら日々を生きることになってしまっていていました。
その結果、反動で休日に一日中寝たきりになったことも、朝起き上がれずに会社を休んでしまったことも片手で足りるレベルではありません。
そんな日々を送っていた私ですが、いよいよこの生きづらさを何とかしたいと思い、多くの記事を読んで調べた中で出会ったのがこの書籍でした。
著者は日本一意識の低い自己啓発本作家を自称しているように、本書でも生きづらい人々へ向けて、非常に低いハードルでこの世の中をサバイバルする術(ライフハック)が紹介されています。
内容は非常にわかりやすく明快な文章で書かれていて、紹介されているライフハックも論理的です。自分もすぐに試すことができそうと感じたものがいくつもありました。発達障害ではなくても、少しでもこの世の中が生きづらいと感じている方がいれば、ぜひとも読んでみてください。
そこにあるものとして考える
この本には「いかに生き延びるか」、すなわち何度転んでも、何度落とし穴に落ちても、どうにか立ち直るための再起の方法以外、何ひとつ記載されていないのです。
引用:発達障害サバイバルガイド-はじめに
もちろん生きづらさの原因となっていることは治った方が良いに決まっています。
ですが、原因が不明確であることも多いでしょうし、世の中の多くのことは複雑に絡み合っています。なかなか自分の行動だけでは解決できないことも多いでしょう。
そんな世の中を「生き延びる」ためには、治す方法ではなく、再起の方法を学んで実践すべきであると本書は説いています。
実際、これは真理なのではないかと私は思っています。原因はいろいろありましたが、私も以前適応障害という病気を患ったことがあります。鬱病のような症状で、特定のストレス要因が明確かどうかが鬱病との違いとのことでした。
一応は寛解(症状が治ること)したので現在は復帰して普通に働いていますが、時々強いストレスを受けたときや、発症したときと同じような状況に遭遇したときには、フラッシュバックのような状態が起こり、気分が悪くなったり寝込んだりしてしまいます。どうにか良くしたいと思い、いろいろと取り組んだりしてみましたが、寛解後数年経ってもどうしても時々このような症状が起こります。
おそらくこれは一生治らないのだろうと、ある種の覚悟のような形で悟りました。
しかし、これからもまだまだ私の人生は続いて行きます。であればどんなに辛く不便であっても、そのような症状と共に生きていくしかありません。正に、「生き延びる」方法考えなくてはなりませんでした。
より良い方向へ進むために努力することは大切だと思います。しかし、世の中には努力や根性ではどうしようもないことがあるのかもしれません。もしそうであれば、解決するために努力し続けることは非常に苦しい日々となってしまうことでしょう。
無理なものは無理と割り切り、ダメだったときに再起する方法を学ぶ方が、人生を幸せに「生き延びる」ためには必要な場面もきっとあるのかもしれません。
工夫とは根本的にやり方を変えることである
あなたの人生をよくするのは、「努力」ではなく「設備投資」です。具体的なモノだけが、生活の苦痛を取り除いてくれます。
引用:発達障害サバイバルガイド-CHAPTER1
本書では、快適に生きるための方法が余すことなく紹介されています。そしてそれは考え方や気持ちの捉え方といった内在的で抽象的な方法ではなく、設備投資を行ったり環境を変えたりという外部的要因を変化させることが強調されています。
人生を変えるために一番意味のない方法は「決意を新たにすること」という言葉を耳にしたことがあります。人間は惰性の生き物なので、目的とする行動をとらせるためにそうせざるを得ないように外部環境を変えることは、人生の方向性を変化させる非常に良い方法だと思います。
例えば家電はその代表例です。最近の家電は頑丈なものも多いので、なかなか壊れずに長く使えることも多いかと思います。長く使えることはもちろん良いことですが、そのためにお金を出せば削減できる作業をいつまでもやり続けているなんてことはないでしょうか。
私も現在の住居に引っ越してから、乾燥機付き洗濯機を購入したのですが、使い始めて衝撃を受けました。これまで行っていた、干す作業と取り込む作業は何だったのでしょうか。多少のお金を出してこんなに快適に生活できるようになるのであれば、もっと早く導入すれば良かったです。これも、ドラム式洗濯機は安くないので躊躇してしまっていたことと、これまで使っていた洗濯機が全然壊れずに使用するのに全く問題がなかったために、ダラダラと惰性で使い続けてしまったためです。
確かにドラム式洗濯機は20~30万円程度と、それなりの価格ではありますが、間違いなく生活を変えてくれるものです。
とりあえずの使用には問題ないために不便は根性と努力で我慢しようとするのか、多少のお金を出してより快適な生活を得ようとするのか。設備投資は「投資」です。生活に対するリターンがあれば、安物買いの銭失いになってしまうのを避けるためにも、しっかりとお金を出して目的とする満足度合いを得ることが人生トータルで見れば得につながるのかもしれません。
休むことは難しい
休む」は意思の賜物で、「頑張る」はむしろ惰性なのです。
引用:発達障害サバイバルガイド-Hack38
私は休むということが非常に苦手です。
何度も一日中寝たきりになっていて、休むのが苦手とは何言ってんだと思われるかもしれません。
しかし、自分が考える「休む」こととは、「意識してその選択を行い、休んだ結果、意欲もエネルギーも回復していること」だと考えています。
私が行ってしまっている、一日中寝こむのは、オーバーヒートして強制終了、故障している状態です。全く休みになっていません。翌日はただただ疲れて何もできなかったという罪悪感でいっぱいになってしまいます。
そういう意味で、「休むことが苦手」と考えています。
どういうわけか、常に何かをしていなければという気持ちになってしまうのです。
完全な休日に必要なのは、「良質な現実逃避」です。つまり、「自分は何もせず、ぼーっとしているだけで楽しめる」コンテンツを、できるだけたくさん用意しましょう。
引用:発達障害サバイバルガイド-Hack39
私は趣味でトライアスロンも取り組んでいて、休日にはよくトレーニングに取り組んでいました。トレーニングでリフレッシュすることを休息と思っていたんですね。しかし、本書では、そのような能動的な活動は休息ではないと一刀両断されていました。
考えてみれば思い当たる節はいくつもあります。トレーニングをして気分爽快となって、一時的には高揚感と爽快感に包まれたものの、身体は疲労困憊で睡眠不足もあり、その後1日中寝込んでしまったことも何度もありました。
これはきっとトレーニングをして休んでいたのではなく、能動的な活動をしていたために、エネルギーを使ってしまっていたからだと今はわかります。
頑張ることは簡単で、休む方が難しい。人生を有意義に過ごすためには積極的な休息が必要となるのは間違いありません。
生活レベルを安易に上げない
人は、自分が所属する経済的階層から追い出されたくないのです。
引用:発達障害サバイバルガイド-Hack44
生活レベルを落とすのは難しいという話ですね。なぜ難しいのか?その理由は、承認欲求を満たしてしまったため、そして敗北感を避けたいがためではないかと思っています。
良い生活を送ると人から羨ましがられる。羨望の眼差しというのは、それはそれは気持ちが良いものです。つまり、自分の生活に対する承認欲求を満たしてしまったのですね。今はFacebookやインスタグラムといったSNSで、簡単に承認欲求を満たすことが可能となっています。
しかし一転、生活レベルを落としてしまうと、それまでの生活とのギャップに対して見下されるのではないか、馬鹿にされるのではないかという心理が働いてしまいます。それは、生活レベルが高く羨望の眼差しを強く感じていた人ほどその落差は大きいのではないかと思います。
また、もう一つの理由として、生活レベルを落とすことは敗北感に繋がるためではないかと考えます。
人間は成長することや、価値を生み出すことに喜びを覚える生き物だと私は思っています。つまり、生活レベルを向上させることは人間の本能ではないかと。
そして生活レベルを下げることは、後退であり、人間の目的とする意に反してしまう行動であるため、本能レベルで抵抗感を覚えるのではないでしょうか。
このように、生活レベルと落とすことが苦しいのは、人間に本来備えられてしまっている機能ではないかと思っています。
だからこそ、人生を幸せにする方法として固定費を増やして生活レベルを上げることや、消費を伴う娯楽に興じるという選択を安易に行わず、お金をかけずとも快適に生活できる方法、楽しむ方法や休める方法を見つけることが、人生を幸せに生きる秘訣なのではないかと思います。前述したような、洗濯乾燥機を購入して生活を快適にするというのは投資なのでアリだと思っています。大事なのは、承認欲求の誘惑から離れていかに日々の出費を抑えることができるかという点です。
さいごに:普通の人という超人たち
本書で度々触れられていたのが、発達障害だと皆が当たり前にできることができないということです。これは私も非常によくわかり、毎日決まった時間に出社することや、苦手な人との適度な付き合い方など、社会人になると皆が当然のようにやっていることが、とても苦しく難しいものに感じてしまっています。なんとも生きづらい世の中だと感じたことは1度や2度ではありません。
しかし思うのです「普通って何だろう」と。
実際、世の中に普通の人っているのでしょうか。国や社会にとって都合の良い基準、常識と呼ばれるスタンダードがあり、それに合わせることができるか、合うように自分を演じることができるかどうかで、普通かどうかが決まるのではないかと思う部分もあります。
そして、それは自分の意に反するような場合もあるので、きっと辛いことも多いはずです。だからこそ、合わせられない人に対してレッテルを貼ることで溜飲を下げている部分はないでしょうか。
それぞれの感覚や感じ方を最大限尊重できるような、誰もが余裕のある社会になればいいなと思います。
どこかの誰かのお役に立てば幸いです。
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